破滅願望
2024年11月2日
下記の投稿、10月に文は記してはいたんですがそのまま下書き状態のままで公開まではできなかった。
こういったものは弱みの曝け出しであり甘えであるからですね。
死にたい時は一人で勝手に死ねばいいんです。
先ほど公開しておきました。
現在になって振り返ると、ああやっぱりこの時も“落ちていた”。
何度繰り返せば気が済むのか、しかし“落ちている”自分は落ちているその事実をどうしても自覚がいかない。
そしてその“落ち”は今後永久に続くものだと信じて疑わない。
というよりその瞬間の“落ち”は本人にとって紛うことなき現実だからです。一瞬だろうが永遠だろうが関係なく、“落ち”そのものから否応なく逃れたいからです。
そのための自殺願望です。過去でも未来でもなく、現在の自分を今後一切金輪際無に帰しておきたいだけです。
そういう破滅願望。
当の私としても、自分がいつ死んでも自殺敢行しても殺されようが構わないんですが、
その思想の元々には結局のところ誰にも己の生を望まれなかったってことだと思いますね。
人の生きる意味ってのは、独りの人間には持ち得ないものかと思います。
誰かとの繋がりってのが鎖なんですね。呪縛といいますか。
他人なんて心底どうでもいい感覚の人が自殺して己の存在をこの世から抹消するだけですね。