呪殺

私は元々幼年期から母親がおらず、父と娘の二人でやってきた経緯があります。
やってきたといっても、家庭を築いていたとかいう意味合いではなく
社会通念上家庭構成は2人だったって感じですかね。
私は自殺で母親を亡くし(「私は」って言うのはちょっと本質とはズレてるんですかね。「父が」自殺により妻を亡くしたんですね。)、
その後に乳児院や児童養護施設で学童期までを過ごしました。
その間、父親は土日の週末に必ず私を迎えに来て、お家で一緒に過ごし、日曜の夜に施設に帰ってくるような毎週ルーティン。
父はそれなりに厳しい職業で平日仕事をこなし、本来は羽を伸ばしのびのび過ごせるはずの週末を、車で往復30分かけ娘を家に連れてくる。
土曜の夜は一緒に寝るものの(私が睡眠に就くと父は離れるんだろうが)、日曜の朝は父は午後3時までずっと寝ている。
ごはんも特に用意なく、私はずっとテレビを見続けるだけの時間潰し。
そして午後8時までに私を施設に送り届け、父はまた家に帰ってくる。
私が小学生高学年になった頃に、私は施設を退園し自宅で生活することになりました。
父との会話やコミュニケーションはほぼ存在せず、私は家でも学校でも独り孤立していました。
中学3年で私は伯母の家に居候になります。普通の一般的な家庭内容に初めて触れられたこと、高校進学の手引き、まともな対人の有様など、初めて学ぶことが本当に本当に色々とありました。
高校2年で私は高校を中途退学します。
それと同時に伯母宅での生活も終え(私が勝手に自宅に帰ってきた)、引きこもり状態になり、まともに他人との交流のない日々が再び。
鬱々とした日々を過ごします。
19歳の夏の日、(終戦記念日の次の日でした、)私は飛び降り自殺を図ります。
自宅の屋上から身を投げたんですね。しかし脚から降りてしまったため、致命傷にはなり得ません。
意識は飛びまして、脚・腰・顎の骨折等や多血もあり救急外来へ搬送です。
その7月から10月31日直前まで、私はずっと麻酔薬等で眠らされてました。
要は意識が終戦記念日からハロウィンまでタイムスリップしてきたわけですね。
しかし私の身体は確実に失ったものがあったわけです。歯とか。
その間の話はとても貴重であろう体験談があるのですが、そのうちにまた書きつけます。
(というかそもそもの自殺までの経緯こそ本当は開示するべきなのですが、結構センシティブなので気を引き締めた時に公開しちゃいますね)
心身共の治療、両方のリハビリを経た後、6ヶ月間の入院を終えて私は自宅に帰ってきます。
しかし状況・環境は何も変わっておらず、結局また引きこもりに逆戻りです。
私は果たして何を記したかったでしょうか?
:父に対する呪いの意ですね。
しかし、父は人として・親としての義務は一切果たさなかったものの、
住居の・生活の・お金に関する物事など、人間としての基盤は良い状態のままずっと保ち続けていてくれたんですね。
だけれども、私は自身を自殺にまで追い詰めた90%ほどの責任は父にあると思ってます。
私の精神を壊しにかかったのは自宅環境そのものですね。実際私は自殺未遂と同時に精神疾患を発症し狂者となりました。限りないストレスにまともに頭も身体も心も平常を保てなかったんですね。
私はまともに人間関係を構築する術を知らなかった。
19歳になっても尚、私は友達を作ったことはなかったし、親とまともな会話をしたこともなかったし、誰かに気を許せた経験は無かったし、周りの人も私を救おうとはしなかった。
親も周りも社会もネグレクトでした。
だけれど、そんな不幸ばかりでも私は誰の力も借りずにひたすら己の頭を回してきたと自負している。
普通の一般的な家庭で育つ人たちが親や大人から教わり身に着けるような物事を、私は独り見聞きし自らの力で修得していった。
そうやって一般的にはある種の洗脳による教育の子供時代を経て人間が形成されるべき課程のところを、私は一人で人間形成をこなしてきたと自覚している。
だから私は意識的に人間をこなしている。「人間とは」を自覚的に認知し演じ通している。
そのようなメタ認知の中、私がまともに「人間」を始めてからもうすぐ10周年です。